泉津の切り通しと波治加麻神社を散歩 – 伊豆大島旅行(3)

北東部の静かな漁村・泉津へ

2022年5月の伊豆大島旅行、3泊4日の行程で、初日は夜に大型客船「さるびあ号」に宿泊。2日目は島中央の三原山登山。3日目は島の北東部を歩いた。2日目については2つ記事を書いた。

伊豆大島は、島の北西部に空港や大型客船が泊まる港があり、土地も比較的なだらかで人口が多い。逆に島の東側は岡田港に近い泉津から南部の波浮港まで険しい海岸線続きでまったく集落がない。「辺鄙」「辺境」好きゆえ、まる一日を大島東部のウォーキングに充てた。

泉津の海岸線。溶岩が海に流れ込んだ跡だろう

朝一番の大島バス・大島公園ラインの乗り、泉津(せんづ)のバス停で下車。泉津は小さな漁港があるのどかな集落だ。朝食を取っていなかったので、バス停前にある「よろずや」で菓子パンとみかんを買った。

ビニール袋に入れたパンとみかんを揺らしながら、バスが走る都道208号大島一周道路を大島公園方面に歩いた。

太古の遺跡を思わせる「泉津の切り通し」

「泉津の切り通し」は伊豆大島のガイドブックや観光サイトで「おすすめ」として紹介されており、「インスタ映え」する風景であるため、訪れる前から何度も写真で目にした。

泉津のバス停から距離500m程度。10分弱で「泉津の切り通し」に到着。大島一周道路を少しそれた旧道にあった。泉津集落方面から進むと、片側一車線の旧道そのものが広い道幅の切り通しになっている。太い切り通しである旧道から、90度直角に細い「泉津の切り通し」をこしらえた構造。

泉津の切通しの入口

切り通しの入口両側に2本の大木があり、太い根っこが両壁を力強くつかんでいた。見上げると、2本の幹がまっすぐ高く伸びて、繁茂した葉が上空を覆っている。

確かに太古の遺跡のような神秘的な風景だ。

切り通しに足を踏み入れると、しっとりとした森のにおいがした。緩やかな勾配の階段になっていて、祭壇への細い通路を上がっていくような気分に。

ただ、その先は民家がある私有地に見えた。ご迷惑にならないよう引き返した。

ガイドブックや観光サイトが煽るような「パワースポット」という表現は、少々大げさな気がした。

左/泉津の切通しに足を踏み入れたところ 右/切り通しの内側から入口を見る

なお、「泉津の切り通し」がある旧道は「椿トンネル」と呼ばれていて、道路の上を覆いかぶさるようにツバキの大木が並んでいる。1月から3月は赤い椿の花が見事らしい。

泉津の切り通しの場所をGoogleマップで確認

厳粛な趣の波治加麻神社に参拝

「泉津の切り通し」を後にして大島一周道路に戻り、さらに大島公園方面へ波治加麻神社(はじかまじんじゃ)に向かう。この神社もガイドブックや観光サイトで「おすすめ」と書かれていた。

境内にあった案内板には以下の説明があった。

波治加麻神社

 ここの地名を波治ケ間と称している。
 祭神は波知命、三宅記に言う。「王子二人まします一人を次郎の王子」とあるのはこの波知命であり、元禄元年(1688)の棟札に八何間大明神、元禄十三年(1700)の棟札に波治竈明神と記されている。社殿は昭和に入って建築されたもおである。」
 「三宅記」とは室町時代に書かれたもので著者は不明。大島に関するところでは、大明神が諸龍王に命じて島を焼出させ、「一番の島を初めの島(初島)二番の島を神集の島(神津島)三番目の島をば、島大なる故に大島と名付けた」とある。
 また、五人の后の一人を大島に置いた。后の御名は、はぶの大后と申し、その腹に王子二人おわし、一人は太郎の王子大い所と申し、一人は次郎の王子少ない所と申したと言う。ここに出てくる、はぶの大后が波浮比咩命神社、太郎王子(阿治古命)が大宮神社、次郎王子(波治命)が波治加麻神社のそれぞれに祭神として祀られているものである。

平成4年3月
大島町

ざっくりポイントをまとめると下のようになる。

  • 「三宅記」によると、(伊豆諸島の)大明神には5人の后がいた。
  • 后5人のうち1人を伊豆大島に置いた。彼女は「波浮の大后」といって、波浮比咩命神社の祭神として祀られた。
  • 「波浮の大后」には「太郎・王子大い所」と「次郎・王子少ない所」、二人の息子がいた。
  • 「太郎・王子大い所」は野増にある大宮神社の祭神として祀られた。
  • 「次郎・王子少ない所」は波治加麻神社の祭神として祀られた。

つまり、波治加麻神社は伊豆大島創生伝説に絡む3人の祭神の1人「次郎・王子少ない所」を祀っているらしい。

伊豆大島では、海岸でクロマツを見かけたほか、スギやヒノキといった本州特有の植林された針葉樹はほとんど目にしなかった。ただ、この神社の境内は別。参道にスギの大木が林立し、神社特有の厳粛な空気を醸し出していた。

波治加麻神社・参道

参道を5分ほど進むと右手の社殿が見えた。周囲の木立と相まって凛としたたたずまい。苔むした手水鉢と共に、郷社特有のひっそりとした趣があった。

波治加麻神社の社殿
苔むした手水鉢

ところで「波治加麻」(はじかま)という読み方をどうしても覚えられない。とても珍しい名称だ。本州で目にしたことがない。言葉の由来について観光サイト「伊豆大島ナビ」に解説があった。

ハジカマ(ハチカマ)の由来を調べてみると、過去の文献より「ハチ」は地名を表し、今も「波治ノ尾」という小高い峰が存在することが根拠となっています。それは神社の後方にある小高い峰「蜂の尻」のことと考えられており、「ハチ」を高峰、「カマ」は「之間」と解され、「ハチ・ノ・マ」であり、「高峰と高峰との間」との説があるようです。

一方で、「カマ」に「竈・釜」の字をあてていることに注目すると「ハチカマ」は「高峰の竈(釜)」となり、火口を意味するとも考えられているようです。

伊豆大島ナビ「波治加麻神社」より

海にちなんだ「波」を勝手にイメージしたいたのだが、山に関する言葉のようだ。

左/本殿の鈴 右/鬱蒼と樹木が茂る境内

鈴を鳴らして二拍手一礼し、波治加麻神社を後にした。

波治加麻神社の場所をGoogleマップで確認

2022年春 伊豆大島旅行の記録
【1】早朝の元町港、源為朝の館跡と弘法浜を散歩
【2】三原山登山、活火山を実感
【3】泉津の切り通しと波治加麻神社を散歩
【4】大島公園海岸遊歩道を踏破
【5】サンセットパームラインをレンタサイクルで往復
【6】「地層大切断面」で地質への関心がムラムラ