「悲惨な戦争」という言葉を生き返らせるには
昨日、近所の小学生が交通事故で亡くなった話を妻から聞きました。自転車に乗って国道を渡ろうとしたところ、交差点を曲がろうとしたダンプカーに巻き込まれて亡くなったそうです。以下はその伝聞、口語のままです。
「お母さんも一緒だったんだけど、ダンプカーだから、子供の体がめちゃめちゃになるじゃない。お母さん、その後、必死で飛び散ったその子の肉を集めたんだって」。
テキストにするとたった80文字程度の伝聞ですが、子供のいる方が読めば、この伝聞からあらゆる光景を想像されるのではないでしょうか。肉片を集める母親の鬼神のような顔、携帯電話で息子の突然の死を知った父親の衝撃、花が置かれた教室の机、母親とダンプカー運転手を一生呪縛し続ける後悔。
昨夜は、布団に入ってから、そんなイマジネーションが次々と湧き上がり、なかなか寝付けませんでした。自分がいつ当事者になってもおかしくないからでしょう。
さて、イラクやアフガニスタン、パレスチナで、誤爆や流れ弾により子供が死亡したニュースが、新聞の国際欄には連日のように報道されています。しかし、一般の日本人が戦争の悲惨な現実に対するイマジネーションが沸かないのは、報道の表現にも一定の問題があるのでは、と思います。
中国では、街頭の公共掲示板で、交通事故現場の悲惨な写真を掲載することで啓発を促しています。初めてその掲示板を見た際、目をそむけたくなる悲惨なビジュアルに衝撃を覚えました。
しかしながら、いまや「戦争」という名詞の枕詞になった感がある「悲惨な」という形容詞について、私たちはどれほどの想像力を働かせることができるのでしょうか。「悲惨な戦争」という言葉の力を生き返らせるためには、爆風で頭を飛ばされた兵士の写真や、下半身を失い亡くなった子供の母親の述懐しかないのでは。
「交通戦争」という言葉が生まれた1960年代。私たちは、まだまだ交通事故を戦争と結びつける想像力を持っていたのかもしれません。
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