山梨県立考古博物館は、愛嬌ある土偶の顔が見どころ
山梨県のミュージアム2館と霊山・身延山を巡る旅。初日午前は山梨県立美術館でミレーとバルビゾン派の絵画を鑑賞(美術館の訪問記録はこちら)。午後は曽根丘陵公園で前方後円墳に上った(前方後円墳の記録はこちら)後、公園内にある表情豊かな山梨県立考古博物館を見学した。
考古学というと、旧石器・縄文・弥生・古墳時代といった7世紀以前、1400年以上前の遺跡・遺物を調査するイメージがある。だが、実際には明治時代、近代以降のモノを扱う「産業考古学」や、第二次大戦の戦争の痕跡を調査するという「戦跡考古学」というジャンルもあり、必ずしも古代以前を対象にするものではない。
山梨県立考古博物館は、縄文時代・弥生時代・古墳時代のモノを中心に据えながらも、中世・近世まで幅広い時代を対象に展示している。
同じ曽根丘陵公園内にある銚子塚古墳や大丸山古墳から出土した発掘物のほか、旧石器時代の黒曜石のナイフ、縄文時代の土器・土偶、弥生時代の須恵器・土師器などを所狭しと並んでいた。「トンボ玉作り体験」「黒曜石で石器作り」等のワークショップも随時開催している。
と、このように紹介しても、(よほどの考古学ファンでない限り)他の地方の歴史博物館と違いはないだろう。
山梨県立考古博物館の楽しみは、ズバリ「土偶」と「縄文式土器の文様」展示だ。
ユニークな表情を持つ土偶の数々に見入る
改めて土偶(どぐう)とは、縄文時代に日本列島で作られた土人形のこと。世界各地で同じスタイルの土人形は数多く発掘されているが、その多くは農作物の豊饒を祈る目的を持つと考えられ、狩猟・採集の時代の土人形は稀な存在らしい。
土偶は乳房やお尻をデフォルメした女性像が多く「縄文時代のビーナス」と称されることも。山梨県立考古博物館の土偶コーナーにもそんな女性像が展示されているが、私は体型よりもバラエティに富む顔の表情に目を奪われた。
ウインクしたり、目を細めたり、愛嬌のある顔ばかり。縄文時代に生きた人々の喜怒哀楽がストレートに伝わってくる。
また、ほぼすべての土偶に「のんさん」「ちゅうたくん」「縄文の仮面小町ウーラ」等、ゆるキャラ風に愛称がつけられており、思わずくすっと笑える展示内容となっている。土偶のコーナーはそれほど大きなスペースではないが、ずいぶんと長い時間、見入ってしまった。
縄文式土器の文様解説が分かりやすい
展示面積という点では、山梨県内で発掘された縄文式土器のコーナーが見応えがあった。
縄文式土器の展示では、国宝・火焔型土器を所蔵する十日町市博物館(新潟県十日町市)が有名だ。ただ、考古学ファン以外にも興味をうながす解説という点では、山梨県立考古博物館に軍配が上がりそう。
縄文式土器の文様について、拡大した図と共に、専門用語を一切用いない分かりやすい説明に好感を持てた。下は、重郎原遺跡出土した人体文土器の解説。
重郎原遺跡出土 人体文土器
土器文様を開いて見ると、人が踊っているようなユニークな姿が絵巻物のようにあらわれます。人の文様とひし形文様が交互に描かれており、一説にはそれぞれ男女を表しているとか。人の文様はジャンプしているようにも見えます。どこに飛ぼうとしているのか…。
山梨県から出土した、これら縄文土器の文様をモチーフにしたカップスリープ(コーヒーカップの熱さを和らげる紙製の帯)を、一人一点受付で配布している。私は見学後に受付で申し出るのを忘れてしまった。
ちなみに山梨県山梨市から長野県岡谷市にかけて、『日本遺産』のストーリーとして「星降る中部高地の縄文世界」が登録・指定されている。
黒曜石は石器の材料として、縄文時代において日本列島で流通していた。その黒曜石鉱山が八ヶ岳山麓にあったことから、このエリアの文化財を保護・整備していこうというもの。
このエリアには山梨県立考古博物館以外にも、釈迦堂遺跡博物館、北杜市考古資料館、茅野市尖石縄文考古館など、気になる考古博物館がいくつかある。ぜひ、尋ねてみたい。
山梨県立考古博物館 公式サイト
Googleマップで山梨県立考古博物館の場所を確認
2023年春 甲府・身延山旅行の記録
【1】山梨県立美術館でミレー『種まく人』をじっくり。見どころを解説
【2】前方後円墳に上る! 甲府・銚子塚古墳と曽根丘陵公園
【3】山梨県立考古博物館は、愛嬌ある土偶の顔が見どころ
【4】身延山久遠寺、西日が照らす五重塔と晩鐘の響き
【6】身延山の宿坊、700年の歴史を持つ「山本坊」宿泊体験
【7】身延山登山、奥の院思親閣と山中の僧坊巡り
【8】身延山久遠寺の総門を車でくぐる