身延山久遠寺、西日が照らす五重塔と晩鐘の響き
日蓮宗の総本山・久遠寺の三門をくぐる
今回の旅の目的は霊峰・身延山に登ること。早朝に登山を開始するため、久遠寺(くおんじ)そばの宿坊に前泊した。
初日は朝、川越を出発して、甲府市の山梨県立美術館と曽根丘陵公園の古墳と県立考古博物館に立ち寄った。
14時に曽根丘陵公園を出発、国道140号と52号を走り、15時に身延山に到着。宿坊で荷物を解いた後、早速、日蓮宗の総本山・久遠寺に参拝することにした。
仏具屋が並ぶ門前町をしばらく歩くと、目の前に巨大な木造の門が立ち現れた。間口23m、奥行9m、高さ21m、総ケヤキ造りの二層建て。周囲が山に囲まれているだけに、なかなか存在感がある。
三門は1642年に創建されたものの、幾度か焼失し、現在の門は明治時代の1907年の建築。三門の「三」は「空」「無相」「無願」の三解脱を表す。
門をくぐろうとしたところ、左手にわらじやスニーカーが吊るされているのを発見。三門の金剛力士像は健脚の守り神とされ、奉納されたものらしい。登山好きにはありがたいご利益だ。
三門をくぐって石畳の参道を進むと、見上げるほどの高さの階段が目に入った。菩提梯(ぼだいてい)と呼ばれる287段の石段だ。近づくほどにその高さを実感。
「登山に比べると楽勝だろう」と実際に上り始めると、一つの石段の高さが30cm以上ある。ステンレスの手すりを握りつつ、テンポよく登ってはみたが、2つ目の踊り場で軽く息切れしてしまった。てっぺんまで上りごたえがあった。
本堂から客殿まで迷子になりそうな広さ
菩提梯を上がり切ると、本堂と五重塔が目に入る。鬱蒼とした杉林の中にある菩提梯とは対照的、広々とした空間だ。早速、靴を脱いで本堂に参拝する。
僧侶が一堂に会するお勤めは1日3回行われる。
- 朝のお勤め:午前5時30分(4月~9月)/午前6時(10月~3月) 本堂にて
- 昼のお勤め:正午 仏殿にて
- 夕方のお勤め:午後3時 仏殿に
三門に着いたのが16時だったので、すでに夕方のお勤めは終わっていた。一度に1,500人の法要を営むことができる本堂のほか、祖師堂・仏堂にも参拝者や僧侶はおらず、奥のきらびやかな仏壇に向かって一人手を合わせた。
久遠寺は京都の観光寺院と違って拝観料は不要(宝物館を除く)。文化財を鑑賞する場ではなく、信仰の場という趣だ。従って木造の伝統建築ではあるが、建築年は意外に新しく、信徒の礼拝を念頭に置いた「実用的」な印象を持った。下の写真は立派な堂宇の数々。ちなみに本堂・祖師堂等、建物の内部は撮影禁止。
本堂・祖師堂・仏殿・客殿等、多くの建物は廊下を渡って行き来できるようになっている。最も西側にある本堂で靴を脱いで、東の端の客殿まで足を運んだが、廊下は複雑に入り組んでおり、本堂への帰り道を迷ってしまった。
17時の晩鐘と共に門前町へ下る
広い境内をあちこちたむろするうちに1時間が経過した。参拝の総受付がある建物・報恩閣のソファで休憩していると、おもむろに低い鐘の音が響き渡った。「大鐘」が撞かれたようだ。
報恩閣を出て大鐘に近づいてみたら、若いお坊さん(10代に見える)が、全身を使って鐘を撞く姿を見ることができた。大晦日のNHK『ゆく年くる年』で見たことはあるが、リアルで目にするのは初めて。
ちょうど西の山に日が沈もうとしており、五重塔の光輪のよう。大鐘は一度撞くと、響きが消え入るまでしっかりと間を空けてから、もう一度撞かれる。信仰の場ならではの味わい深いひと時を過ごした。
17時を過ぎると本堂・祖師堂の扉が閉じられる。日が落ちて暗くなり始めたので、門前町にある宿坊に帰ることにした。
帰りは石段・菩提梯の迂回路「男坂」を歩いて三門に下りた。男坂の両側はうっそうとした杉林。夜独特の冷たい空気が漂い始めていた。
杉林の暗がりの中、無数の白いシャガの花が咲き誇っていた。この世のものと思えぬ、妖しい光景だった。
2023年春 甲府・身延山旅行の記録
【1】山梨県立美術館でミレー『種まく人』をじっくり。見どころを解説
【2】前方後円墳に上る! 甲府・銚子塚古墳と曽根丘陵公園
【3】山梨県立考古博物館は、愛嬌ある土偶の顔が見どころ
【4】身延山久遠寺、西日が照らす五重塔と晩鐘の響き
【6】身延山の宿坊、700年の歴史を持つ「山本坊」宿泊体験
【7】身延山登山、奥の院思親閣と山中の僧坊巡り
【8】身延山久遠寺の総門を車でくぐる