マルクス『経済学・哲学草稿』で染みる言葉
編集者のスタンスに立つと、マルクスの文章は長くて、くどくて、まったくもって好きになれません。また、翻訳者泣かせの著者でしょう。
ただ、マルクスの『経済学・哲学草稿』の中で生まれた「疎外された労働」という言葉だけは、特別な存在。30代半ばをすぎてマネジメント業務が主になり、仕事が忙しく、トホホなできごとが増えるほど、心にしみてきます。
もし、労働の生産物が私に疎遠であり、疎遠な力として私に立ち向かうなら、それはいったい、だれに属するのか?
最近、自分のやっている仕事が、20代の頃より疎遠な気がするなぁ。
ディスカッション
コメント一覧
はじめまして。TBありがとうございました。
私はこの本を読んで心にきめたことは、
地主になろうということです。
道具としてつかわれる労働者ではなく、使うほうの人間になるぞ!
ひとまず、お礼まで・・・またうかがわせていただきます。
「お金持ち」でなく「地主」というあたりがユニークですね。今後とも、よろしくです。
編集者のスタンスに立つと、マルクスの文章は長くて、くどくて、まったくもって好きになれません。
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なんであんな文章を多産するような人間に育ったのか、私には想像も
つかない世界であり到底分かりません。
たぶん頭からイメージが湧きだして言葉にする速度が追いつかないと
いう生活をおくっていたのでしょうね。
彼がタイプライターや、ワープロ、パソコンの時代に生きていたらどんな
文章になっていたのでしょうか?
私なんか、どうしようもないノータリンですが気質的には似ているのかも
しれません。くだらないイメージがいっぱい湧いてきて自分で収拾が
できないんですね。外からみると労多くして報われない人生のように
みえるかもしれないのですが、当人はいたって平然と暮らしていたり
します。たぶん生きがいに不自由しないからなのではないでしょうか。
マルクスの疎外論も、あまり几帳面に読む人には辛いのかも・・・(笑)