ジャック・デリダの死去と“おフランスかぶれ”
哲学者、ジャック・デリダが亡くなりました。
ところで、私はフランスに行ったことがないです。あまり行きたいという衝動が起きないです。なぜだか、よくわからないのですが、これまで、知り合った「おフランスかぶれ」の方の影響が大きいのかな、と思ったりします。
20代のころ、パリにしばらく住んだ知人がいて、何を話すにも「フランスではこうだ」とか「パリではこうだ」とか、挙句の果てには、日本でもホテルをオテルなんて、呼び始める始末で、「かぶれ」ぶりに閉口したことがありました。
日本でナンバーワンと言われるパティシエの方にインタビューしたときも、最初から最後までフランス礼賛で、しまいには、「私のお菓子は日本人にはわからない」とか言い出す始末。「だったら、パリで仕事すれば」とか、思わず言っちゃいそうになったこともあります。
日本との比較が癖になるのは、フランス帰り、インド帰りの方が圧倒的に多い気がするのですが、思い込みでしょうか。
「おフランスかぶれ」の人が、酒にしても、料理にしても、ライフスタイルにしても、 「ナンバーワン!」「フランスかっこいい!」と、無条件に思い込める理由は、実際にフランスに行かなきゃわからないものなのでしょう。
ただ、フランスで一点、よくわかんないけど、感覚的にカッコいい!と思えるものがあります。それは20世紀後半、パリを中心にした知の運動でした。
特に80年代に学生時代をすごした私にとっては、デリダの「ポスト構造主義」、ポワイエの「レギュラシオン理論」は、とにかくスタイリッシュに感じました。
60年代の学生にとって、行動する哲学者、サルトルが知的アイドルであったように、私にとってはデリダが、カッコいい哲学者でした。
そのくせ、デリダの原典はものの数ページで挫折。「ポスト構造主義」以前に「構造主義」を理解するまでで、ヘトヘトという感じでした。
なるほど、これこそ「おフランス思想かぶれ」なのでしょうネ。