終戦記念日に金王八幡宮へお参りを
第二次大戦を経験したわけでもないのに、年齢を重ねるにつれて終戦記念日を意識するようになった。
もう10年ほど前になるだろうか、父親が東京に来た際、フィリピンで亡くなった長兄のお参りに靖国神社に連れて行ったことがある。その際、確か母親も妻も一緒だったが、暗黙の了解のように父親を一人自由にして境内で待った。父親は末っ子で、長兄のことは自転車の後ろに乗せてもらったことくらいしか覚えていないという。何かを探すように靖国神社の境内をあちこち歩いていた父親の姿が忘れならない。
私は靖国神社を「政治化」してほしくない。英霊という言葉も好きでない。父親のようにただ静かに戦没者を祈り、思いを馳せる場であってほしいと思う。
それからだろうか、終戦記念日は靖国神社に出かけないまでも、会社または自宅近くの神社、お寺でお祈りするようになった。今日は6時に仕事を終えて、帰り道、会社近くの金王八幡宮へ。お盆休みの夕方のためか、境内には誰もいなかった。
賽銭を投げて、家族、島国に住むみんなが平和に生活できることへの感謝。そして、戦火にいる中東の人々の安寧を祈った。