ゼッケン67 – 東京オリンピック1964
先日、小学校の運動会に参加しました。開会式の校長先生の言葉が、忘れていた記憶を呼び覚まし、思わず目頭が熱くなりました。こんなお話です。
「皆さん、今日は運動会です。私が、皆さんのように小学生だったころ、東京オリンピックがありました。私が今でも覚えているのは、陸上10000メートル決勝です。10000メートルという長いレースの後、次々と選手がゴールに入ってきます。アメリカの選手が優勝して、日本の円谷選手も6位に入賞、やがて最後のランナーがゴールに入ってきました。セイロン、今のスリランカのカルナナンダという選手でした。
ゴールをすぎても、カルナナンダ選手は走るのをやめませんでした。彼は周回遅れだったのです。1周を走り終わり、観衆の誰もがレースが終了したと思いました。でも彼はまだ走ることをやめませんでした。2周めに入り、みんなじっとグラウンドを一人で走る彼を注目しました。やがて3周めが終わり、彼がゴールをしたとき、優勝した選手以上の拍手が、競技場を包みました。勝ち負けよりもすばらしいことがあることを教えてくれた、カルナナンダ選手に、日本中の人々が感動したのです。
皆さん、今日は力いっぱいがんばってください。」
小学校の国語の授業で習った『ゼッケン67』の話でした。『ゼッケン67』は、椋鳩十の『片耳の大鹿』とともに、私が一番好きだった読み物です。光村図書のホームページに情報が掲載されていました。抜粋させていただきます。
1964年、東京オリンピックの陸上1万メートルレース。トップを争う選手たちが、次々とゴールしていく。レースは終わった。しかし、「ゼッケン67」を付けたランナーは、まだ、走るのをやめない。「周回遅れか」「がんばれよ」……やじを含んだ声が、観客席からあがる。それでもランナーは走り続ける。だれもいないトラックを、1周、2周、さらに3周……。彼のゴールは、まだ終わっていなかったのだ。勝利のためでも記録のためでもなく、自分自身のゴールに向けて走るこのセイロンのランナーに、やがて観衆は大きな声援を送り始めるのだった。
『ゼッケン67』は、昭和46年度から昭和51年度の小学校4年生の教科書に掲載。著者は、当時の編集委員らしいす。
ちなみに、光村図書の国語教科書に掲載された読み物は、光村ライブラリー全18巻セットで読むことができます。昭和46年度版から平成12年度版までの教科書の中から、支持を多かった作品収録してあります。一冊ずつでも購入できます。『ゼッケン67』は収録されていません。残念。