庄内旅行- 湯殿山神社から月山山頂へ雨中登山
一週間の庄内旅行、いよいよメインイベントの二泊三日の出羽三山登山に向かった。
三山が神仏習合であった時代、三山をめぐる修行を「三関三渡」といわれた。羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越えて、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)に達し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものだ。
その意味では、本来、羽黒山から登り湯殿山に至るのが「本筋」であると思ったが、数日後、湯殿山側にある注連寺や大日坊の方々に伺うと、月山修行への道のりは四方から向かうことができて、羽黒山→月山→湯殿山というルートがメジャーになったのはつい最近のことだと言っておられた。
「語るなかれ」の湯殿山神社について語る
この日は湯殿山神社から月山山頂まで登り、月山の山頂小屋で宿泊するという行程。前泊した民宿のお母さんに「これまた一番大変なコースですね」と言われるまで知らなかったのだが、実は湯殿山神社の本宮から月山への登山路は、出羽三山参拝の最難所とされている。「いかに難所であるか」はこれから説明したい。上は湯殿山神社から月山への地形図。
朝10時13分に湯殿山のふもとにある田麦俣の停留所からバスに乗り、大鳥居(写真上)と参籠所(宿泊施設)がある終点湯殿山バス停についたのが10時32分。そこからバスを乗り継ぎ、10分ほどで湯殿山神社に到着する。
湯殿山神社の特徴は社殿や拝殿がないこと。神の世界は「人工」を排するため、あえて社殿を設けないという。そのため、入り口の小屋で靴を脱いで素足になり、御祓いを受けてから石の道を歩きご神体へと進む。ご神体は温泉水が湧出する茶褐色の巨岩。その周囲を素足で回って参拝する。湧き出たばかりの温泉水は足の裏に結構熱く感じられた。
田麦俣付近は晴れていたのに、湯殿山神社に到着した頃から雨が降り始めた。雨合羽をリュックから取り出し、雨に打たれながらの参拝となった。
湯殿山神社については、古来「語るなかれ、聞くなかれ」とされている。松尾芭蕉も『おくのほそ道』では「総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」と記している。神域は写真撮影禁止。確かにしゃべることがはばかられる空気が漂い、雨の中、白装束の参拝の列が粛々と続いた。
出羽三山の公式ホームページには神域の様子が写真掲載されている。
鉄梯子や鎖で登る「月光の登山道」
湯殿山神社の参拝を終えて、裏にある月山への登山道に進む。いよいよ月山のトレッキングに挑む。途中1キロほどは通常の山道だったが、「一番大変なコース」と言われたとおり「月光坂」と呼ばれるすさまじい難所が現れた。
全長1.5キロほどの岩場の所々に鉄梯子や鎖がかけられており、足だけでなく腕も使って全身で登っていくのだ。しかも雨脚が強くなり、握った鉄梯子が冷たい。軍手を持ってこなかったことを後悔した。
左は坂の上を見上げた写真、右は坂を下りていく人を見下ろした写真。坂道というより梯子なので、登りよりも下りの方がしんどいと思った。なぜなら登りは前を向いて進んでいけるが、下りは後ろを向いて梯子を下りなければならない。実際、下山する人はあまりの勾配のため「下が見えない」と嘆息していた。
湯殿山神社を出発した頃は、下着のシャツの上に長袖シャツ、その上に雨合羽を着ていたが、あまりの汗のため下着のシャツ一枚にならざるを得なかった。岩場を思うと危険ではあるが。
途中、何度も休憩しながら歩いたが、鬱蒼とした林の中を進むので眺望も今ひとつ。目の前に土砂崩れの跡が生々しい山が見えるだけだ。
一時間ほどのきつい岩場を過ぎて「施薬小屋」に到着。ここは月山から湯殿山に向かう際、装束を整える場所。雨が降り続く中の登山のため、プレハブ小屋であっても屋根のある場所はとにかく落ち着けた。ここで15分ほど休憩、坂道で荒れた息を整えた。
小川のせせらぎの音が心地よい
月光坂のすさまじい岩場の登攀に比べると、「施薬小屋」からの坂道はようやく“山歩き”になった。「金姥(かなうば)」までの道の隣には小川が流れて、静かなせせらぎの音も聞こえる。ただ、雨が降っているので気をつけて歩かないと、水が流れている道なのか、小川なのかが区別がつかなくなる。赤い登山用の目印を見失わないよう注意した。
下はiPhoneでビデオ撮影した小川のせせらぎの様子。清流の名にふさわしい風景だった。
金姥からは石の階段が続いた。きっと雲の中を歩いているのだろう。雨と霧で視界は10数メートル先までしか見えない。幽界・冥界の石階段を登っているようだった。天候は最悪だが霊峰にふさわしい風景だ。
金姥から一時間弱で「牛首」と呼ばれる場所に到着した。湯殿山神社からは4.5キロ。距離自体は大したことがないが、岩場の1.5キロと平地の1.5キロは同じ尺度で測ることはできない。
時刻は13時20分。少し雨が小ぶりになったので、ここで持参したカロリーメイトでランチタイムにした。中学・高校のボーイスカウト時代、こんな便利な非常食はなかったな。
月山山頂への1.1キロがこれまたきつい
道案内を見ると、牛首から月山山頂へは1.1キロとある。「あと1キロ、もう少しだ」と思ったが甘くはなかった。月光坂と違って、今度は大きな石ころがゴロゴロと転がる不安定な坂道がえんえんと続いた。雨に濡れた石はとても滑りやすくなっているし、相変わらず視界は10数メートルほど。また、どこまでが道でどこまでが岩なのか、赤い目印をしっかり探しながら歩かないと道に迷いそうになる。
雪か雨かで転げ落ちた丸太が道を塞いでいる箇所もあった。気が抜けない。
おもむろに道沿いに句碑が現れた。
雲の峯幾つ崩て月の山
芭蕉の月山登拝270年を記念して1958年に建てられたもの。芭蕉もこの道を歩いたのだろうか。
きつい坂道は続くが、石で作られた祠も現れ、山頂が近いことを何となく実感。
芭蕉句碑から5分ほどいきなり道が平坦になり、トタン屋根の山小屋が見えた。山頂小屋だ。
山頂小屋に着くなりバタンキュー
山頂小屋到着は14時23分。湯殿山神社を出発したのが、11時半ごろだったので約3時間の登山となった。
ただ、これまで私が経験した登山、トレッキングの中では、たとえ3時間といえど疲労の度合いがまったく違う。雨中の登山ゆえ、体力の消耗も激しかった。
山頂小屋の扉を開けるとご主人が部屋に通してくれた。なんと個室だった。三畳ほどではあるがとても快適そう。部屋に通されると同時に毛布を2枚持ってきてくれた。
とにかく身体が雨に濡れて急激に冷えてきたので、下着まですべて交換。雨合羽や丈夫なスポーツシューズで旅しているとはいえ、本格的な山登りの衣服ではない。濡れた雨合羽やスポーツシューズは乾燥室に持って入った。8月だが、入り口近くの乾燥室にはスキー場のロッジのようにストーブに火が点いている。
下着を着替えると、そのまま2枚の毛布にくるまって爆睡してしまった。よほど疲れていたのか、起きたら夕方17時。せっかく山頂に着いたので安全に登頂できたことの御礼に、小屋から100メートルほどのところにある月山神社本宮に向かった。ところが、参拝は朝5時から夕方5時まで、すでに門は閉まっていた。
神社、小屋付近は霧深い上に暗くなってきている。周辺の散歩も危険を感じるので、仕方なく小屋に戻る。
18時から夕食。この日の宿泊は10人だった。山菜の天ぷら、煮物等、素朴な料理だけど、味は期待をはるかに上回っていた。特に、殻を取ったむき身のそばをゆでて、タレをかけて食べる庄内の郷土料理「むきそば」が気に入った。
お腹いっぱいになって部屋に戻ったら夜7時すぎ。電子書籍リーダーを取り出して森敦の『月山』の再読を始めるも、すぐに睡魔が襲ってきて早くも眠りに落ちてしまった。
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