庄内旅行- 午歳御縁年の羽黒山・出羽神社へ

2023年4月15日

出羽三山のトレッキング。湯殿山、月山を経て、いよいよ羽黒山へ。7~9月のシーズン中のみ、月山八合目から羽黒山頂行きのバスが1日4本運行されている。13時すぎに月山八合目を出るバスに乗り、羽黒山頂へと向かった。バスが出る頃、八合目付近がいきなり強い雨に見舞われた。これから弥陀ヶ原を見学するツアーのバスが多数到着しつつあったが、とても散歩どころではないだろう。私は一足早く難を逃れたようだ。

月山八合目から羽黒山頂まではバスで約1時間。バスの乗客は全員一人旅のトレッキング慣れした中年ばかりで、初めて会ったのに気さくに旅のコースの情報交換をしあった。何だか中年バックパッカーみたいだ。

羽黒山頂に到着後、今日の宿の予約をしようと社務所へ。羽黒山のふもとには宿坊が多数あって宿坊での宿泊を望んだが、修行の身でないとこの時期、泊まれないとのこと。宿坊街に羽黒館という旅館を紹介されて電話をすると、当日だけど宿泊可能とのこと。よかった。

これで安心して、夕方まで羽黒山を歩ける。

出羽三山と川越を結ぶ二人の高僧がいた

まず、出羽三山歴史博物館を訪れた。『中興の祖・天宥法印に続く歴代別当遺品展』という企画展が行われていた。天宥法印という人物について、山形県のホームページには次にように説明がある。

天宥は17世紀の羽黒山執行・別当として最高位についた僧で、羽黒山中興の祖として高名。幕府の高僧天海と通じ、羽黒山を真言密教から天台宗に改宗し、出羽三山を統合支配したが、讒言にあい、新島(※東京都)に流された。天宥は、新島で7年の歳月を過ごしたが、延宝2年(1674年)10月に82歳の生涯を閉じた。子女教育に熱心に取り組み、島民の尊敬を集めた。芭蕉も歌に天宥を偲ぶ句をいくつか残している。

一時間弱、ゆっくりと展示を見ると、天宥は経営者としても有能な僧侶だったようだ。月山周辺の数ある寺院の中で羽黒山を確固たる存在に確立するため、徳川家康のブレーンであった天海僧正とも交わり、最終的には東北随一の存在の寺院にさせた功労者らしい。私の住む川越には天海ゆかりの喜多院があるが、こんなところで羽黒山と川越に縁があろうとは…。

左下の写真は天宥法印を祀る天宥社。

出羽神社・天宥社

飛鳥の都を落ち延び、出羽に生きた蜂子皇子

今年は、12年に一度の「午歳御縁年」ということで、普段は見られない蜂子神社(右上写真)の御開扉(蜂子皇子御尊像拝観)が行われていた。羽黒山が午年に開山したことにちなみ、午年に参拝することは12回参拝したことと同じ御利益があるとされている。

蜂子皇子

蜂子神社は、第32代崇峻天皇の第3皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ)を祀る。592年に崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、皇子は馬子から逃れるため日本海を船で北へ向かい、鶴岡付近に上陸。その後、羽黒山に登り、出羽三山を開いたといわれている。

参拝料を払って、神社の中に入るとお祓いの後、恐ろしい形相の蜂子皇子御尊像を間近で見ることができた(右写真、パンフレットより)。なぜこのような形相をしているかというと、「人々の苦難を一身に背負ったため」という説明を受けた。

出羽三山の中核的建造物「三神合祭殿」へ

さて、出羽三山で一番大きな建造物が三神合祭殿だろう。湯殿山神社は社殿がないのが特徴で、月山神社は山頂にある小さな社、それに比較すると出羽神社の三神合祭殿は、高さ28メートル、桁行24.2メートル、梁間17メートル、茅葺きの屋根の厚さ2.1メートルという豪壮な建築物である。建物だけ見ると、三神合祭殿こそが出羽三山の中核であるような気がしてしまう。

出羽神社・三神合祭殿

実際、ここでは月山・湯殿山・羽山の三神が合わせて祀られており。湯殿山、月山が雪に覆われる冬の間、こちらで祭事、参拝が行われるらしい。度重なる火災に遭い、現在の社殿は江戸時代、1818年(文政元年)に再建されたもの。萱葺の建造物としては日本最大の規模といわれる。

その後、鐘楼(写真右下)や末社の建物がある境内を散策して、山を下りることにした。

出羽神社・鐘楼

2,446石段を下りる下りる

山頂鳥居から石の階段を下り初めて、ふと気がついた。本来、羽黒山頂にある三神合祭殿へは、ふもとの随神門から五重塔を経て、2,446石段を登るのが正式ルートではないのか?と。山頂鳥居をくぐって石段を下り始めると、息せき切った参拝者が何人も上ってきた。何だかズルをしたような気がした(この後、旅館のご主人に尋ねると「出羽三山には正式ルートというのはない」ことがわかり、ちょっと安心した)。

出羽神社・石段

入り口でもらった境内の地図を見るのと、実際に歩くのとではまったく縮尺が違っていた。2,446の石段は半端ない数だ。両側は幽玄な杉林。「聖域」という言葉ににふさわしい空気が漂っていた。

石段の距離は1.3キロ。中間地点にいい古風な茶屋があった。せっかくなので少し休憩。

羽黒山・茶屋

団子と抹茶を注文すると、氏名が入った「ミシュラングリーンガイド三つ星認定“羽黒山参道と杉並木”踏破認定証」をくれた。下りだけなので、ちょっと後ろめたい。茶屋からは庄内平野が眺められて、晩夏の涼し気な風が気持ちよかった。

羽黒山・茶屋

国宝・五重塔に到着、出羽三山トレッキングが終了

杉並木の石段を下って行くと、視線の先に木造の建築物が見える。国宝・五重塔だ。高さ29.2メートル、屋根は杮(こけら)葺き。彩色を施さない素木の塔で、日本人の侘び寂びのスピリッツにとても響く。

羽黒山・五重塔

五重塔は、平安時代中期、平将門の創建と伝えられているが、本当のところはわからない。現在の塔は庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。明治時代の神仏分離で、神仏習合だった羽黒山は出羽神社となり、山内の寺院や僧坊はほとんど取り壊されたが、五重塔は幸い取り壊されずに残された。

さすがに国宝。何度も塔の周囲をぐるぐると回って眺めてしまった。夜はライトアップがあるらしい。もう一度、夜に訪れたい。

羽黒山・随神門

五重塔の隣には、樹齢1000年、樹の周囲10メートルの巨杉「爺杉」が(写真左)。生命力という点で、五重塔よりも感じるものがあった。

五重塔から10分ほど歩くと随神門に到着(写真右)。本来、この門から先が神域である。私が出羽三山のトレッキングはここが終着点。近くに、出羽三山の案内図があった。

羽黒山・案内図

湯殿山1504メートル、月山1984メートル、羽黒山414メートル。学生時代以来、本当に久しぶりに歩きに歩いた。

出羽三山神社ホームページ

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