上京17年目、ようやく柴又帝釈天へ出かけた
寅さんの町・柴又へ
映画『男はつらいよ』が大好きだ。48作すべてを見てはいないけど、甥・満男の存在感が増す第40作『寅次郎サラダ記念日』以降、すっかりハマってしまった。
なので、舞台・柴又は出かけてみたいと思いつつ、東京に出てきて17年、川越からは少々アクセスが悪いこともあり、行けずじまいだった。この夏、還暦を超えた関西に住む先輩が遊びに来てくれたのを機に、一緒に柴又帝釈天に出かけることに。念願かなった。
上野駅から京成電鉄に乗り、高砂駅で乗り換えて柴又へ。柴又駅のホームで、何度も繰り広げられた寅さんとさくらの別れのシーンを思い出した。実は、この日の柴又散歩でこのホームがが気分が高揚した場所だった。
駅を降りると寅さんの銅像が。濃い色のためか、少々真面目な表情に見えた。
観光客いっぱいの帝釈天参道を歩いていくと、1作から4作までの撮影が行われた「とらや」が。おいちゃん、おばちゃんがのだんご屋のモデルは「高木屋」で、私が本格的にハマり出した『寅次郎サラダ記念日』以降は、屋号が「くるまや」になっている。このあたりの屋号の変遷の由来はよくわからない。「とらや」と「高木屋」についてはこちらのサイトに詳しく書かれている。
柴又帝釈天は想像以上に広かった
いよいよ、帝釈天へ。「柴又帝釈天」という名で知られているが、正式名称は「経栄山題経寺」で日蓮宗の寺院だ(ここに来るまで知らなかった、気に留めもしなかった)。
入母屋造りの二天門をくぐると、広い境内が目に入った。
実は、映画で見ていると、笠智衆演じる“御前様”のやりとりばかりが印象に残っていて、こんな大きな寺院とは思っていなかった。もっと小さな町中のお寺だと思い込んでいた。
境内を見渡すと、帝釈堂の前に大きく枝を広げる松に目が行った。樹齢数百年「瑞龍の松」といわれる。このように美しく育てるには、一流の造園技師の剪定が必要だろう。ここ数年、ガーデニングに凝っているのでよくわかる。
帝釈堂でお賽銭を入れて、お参りをする。下は入り口の扁額。
その後、庭園・彫刻ギャラリー共通の拝観料400円を納めて、大客殿に入る。御前様とさくらが、しばしば談笑した場だ。こちらも映画のイメージよりも、はるかに広く立派な庭園に驚いた。お茶もいただけるので、一時間あまり庭を見ながら先輩と談笑。素敵な夏のひとときだった。
そして、透明のアクリルで囲われた帝釈堂内殿の外部の彫刻ギャラリーを巡る。法華経の説話10話を彫刻にしたもので、1922年から1934年にかけて、当時の名彫刻師10人が1面ずつ分担制作。とても見ごたえがあった。戦災で焼失しなかったことを幸いに思った。
「葛飾柴又寅さん記念館」で活版印刷を知る
柴又帝釈天を後にして、徒歩10分ほどのところにある「葛飾柴又寅さん記念館」へ。外観はコンクリートの現代的な建物だったが、中は昭和の寅さんワールドをジオラマで再現していて、私が子供の頃の懐かしい空気が漂っている。
ジオラマのところどころに、原寸大の登場人物が飾られているところが面白かった。
私は、タコ社長が経営する「朝日印刷」のコーナーに長居してしまった。今は亡き活版印刷工場の雰囲気を知ることができる。
本物の活字や活版印刷の器具が説明書きと共に置かれている。ここ、出版編集者は必見の場所だ。とても勉強になった。
葛飾柴又寅さん記念館と、隣にある山田洋次ミュージアムを後にして、江戸川の河川敷へ。せっかくここまで足を運んだので、「矢切の渡し」に乗ってみることに。細川たかしの歌う歌謡曲は何度も耳にした。その実物はいかに。
「矢切の渡し」は20分間の小さな旅
渡し船の乗り場に到着すると、草むらの向こうに小さな木の桟橋が見える。こちらは帝釈天と違って、想像していたよりも小さな船着場だった。帝釈天参道と違って観光客もあまりおわず、ネクタイを締めたサラリーマンが乗ってきたりして、地元の交通機関として今なお利用されているようだ。
行きは対岸に直行。帰りは観光客だけだったので、金町浄水場の取水塔まで遡って柴又方面へ。江戸川の水上は涼しくて静か。ちゃぷちゃぷという川音だけが聞こえて、往復20分程度の小さな旅を満喫した。
山手線の西側で働いていると、東京の東部は訪れる機会が少ない。せっかく首都圏に住んでいるのだから、もう少し散歩してみなければ。