映画『クレヨンしんちゃん~オトナ帝国の逆襲』に脱帽

映画 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(DVD)
監督/原恵一
出演/矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、関根勤ほか
発行/バンダイビジュアル

昨夜はテレビで、映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」を見ました。「嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」同様、不覚にも泣いてしまった。一言では語れない作品ですが、ジブリとは指向性が違えど、「サザエさん」「ドラえもん」という、ファミリーアニメの地平を徹底的に追求した精神、それから職人魂に恐れ入りました。作品の詳細についてはWikipediaでどうぞ

さて、私の漠然とした想いを、岡田斗司夫さんがうまく表現しておられます。

岡田斗司夫のプチクリ日記: 「オトナ帝国の逆襲」について

特に、以下の箇所に共感しました。

 この映画のテーマは「家族の素晴らしさ」「現在の素晴らしさ」ではない。
 ひろしは、そしてみさえや他の大人たちも、その素晴らしくあるべき「家族」や「現在」に疲れはてていた。
 だからこそ、過去の世界に癒しを見いだしたのではないか。
 なぜ自分の子供たちを放り出してまで、20世紀博にハマったのか。
 それはひろしやみさえが「家族」という組織に疲れ果てていたからではないのか?
 テーマを「家族の素晴らしさ」にするなら、シナリオの常套手段はまず、そのテーマの否定からはじまるはずだ。「家族は苦痛である」というアンチテーゼを充分に描き、それをクライマックスで反転させてこそ娯楽作品のテーマたりうる。

とにかく、作品のいろんなところに、仕掛けがこめられていますが、私がクリエイターの一人としてうならされたのは、全編を通すキーワードに「におい」を置いたこと。映像作品で視覚、聴覚でなく、嗅覚にうったえようとするなんて、普通考えたりしません。そこにあえて挑みかかるクリエイター魂に脱帽しました。

見終わった後、印象深かったのは、ラスト、しんのすけがタワーを駆け上がるシーン、まさにこの映画のスタッフたちが、日本のアニメの歴史に力技で切り込んでいく姿勢を重ね合わせてしまいました。一押しアニメです。