Evernoteで半年間欠かさず日記を書いた
ブログもSNSも、人にどう読まれるかを意識してしまい、どうしても筆が止まってしまう。見られる自分、見られたい自分が頭の片隅に常にあって、軽快に筆が進まない。実名故に、結局、当たり障りのない話題が中心となり、何やら漂白したような文章になってしまう。
そんなわけで、この半年ほど、書くことのホームグランドはEvernoteに移ってしまった。もちろん自分だけしか見ることができない。SNS疲れというのもあるかな。ネット上のコミュニケーションの行き着く先は、「自分とのSNS」「自分だけのブログ」かもしれない。
2015年前半が終わって、一つだけ「やった」と思うのは、半年間、毎日欠かさず日記を書き続けたこと。“毎日欠かさず”は初めての体験だ。
継続できた理由はいくつかある。
一つは、「毎日あったこと」のメモのみにとどめたこと。時々、どう感じたかも書くこともあるがが、内容はほぼできごとの羅列だ。日記というよりも「日誌」「日報」に近い。ただ、なるべき写真を一枚、添付している。その日の空であったり、花であったり、スマートフォンで気楽に撮影したもの。これは、日誌の天気欄のようなものだろうか。
考えながら書くとどうしても時間がかかる。5分程度で書き終えるのが、継続のコツだと思う。
もう一つは、Evernoteの存在。Evernoteは日記に向いているのは、すでにいろんなブログで語られている。まさに、Evernoteがあったので、毎日、書き綴ることができた。
日記は隙間時間にちょろっと書く。「書き留める」程度だ。通勤電車の中、仕事の合間、寝る前、書き留める場はさまざま。パソコン、スマートフォンのどちらからでも、思い立ったらすぐに書き始められる気軽さが大切だ。その点、Evernoteは仕事でもプライベートでもメモ代わりに使っているので、同じメモに書き留める感覚で、日記を書くことができる。
いずれにせよ、「深く考えずに書く」「いつでも書ける」、このライトさが継続できた理由だ。
毎日日記を書くことの一番のメリットは、メモを足がかりにして、記憶をたどれること。メモ自体の情報は大したことはなくても、それをフックに記憶領域を広く検索できることが大きい。
老化のためか記憶が劣化して、できごとの前後関係があやふやになっていることが多い。実際、日記を読み返すと、最近だと思っていたことが、実際には3か月も前のできごとだったりした。
日記は記憶という広大な海をたどる、パンくずになる。