岩手旅行- 達谷窟でバイオレンスな縁起を考える

2023年4月15日

達谷窟

厳美渓から平泉へのバスは1日5本(土日祝6本)あり、途中、達谷窟(たっこくのいわや)という停留所で乗り換える(1日1本直通あり)。「窟(いわや)」という字面と響きに妙に惹かれて、立ち寄ることにした。

地方の観光地を公共バスで巡る際、一番の難点はバスの本数が少ないこと。1時間に1本あればラッキー。1日に2、3本というケースもざらにある。

厳美渓から達谷窟へは乗車時間15分間。バスの時刻表を見た際、歩いても行けるかな?と思ったが、大いなる間違いだった。信号も何もない山道を時速50キロで走って15分間の距離だった。バスを待ってよかった。

9時半に達谷窟に到着したが、次の平泉行きのバスは10時50分発。窟は見たところ30分もあれば十分見学できそう。周囲には売店も食堂もない。1時間半、ぷらぷらするしかない。ま、急ぐ旅ではないし。

ここの見どころは、崖に造られた岩窟。坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀ったといわれている。その縁起についての説明板があった。

約そ(およそ)千二百年の昔、悪路王・赤頭・高丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、良民を苦しめ女子供を掠める等乱暴な振舞が多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。そこで人皇五十代桓武天皇は坂上田村麿公を征夷大将軍に命じ、蝦夷征伐の勅を下された。

対する悪路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河の国清見関まで進んだが、大将軍が京を発するの報を聞くと武威を恐れ窟に引き返し守を固めた。延暦二十年(801年)大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末打ち破り、悪路王・赤頭・高丸の首を刎ね、ついに蝦夷を平定した。大将軍は、戦勝は毘沙門天の御加護と感じ、その御礼に京の清水の舞台造を模ねて九間四面の精舎を建て、百八躰の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所とし窟毘沙門堂と名付けた。

とある。

まぁ、征服者たる朝廷が作った「歴史」として、話半分いや話二割くらいで読んだ。

ただ、時代を経て、鎌倉時代あたりからは信ぴょう性が高くなる。

降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願の為寺領を寄進し、奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公が七堂伽藍を建立したと伝えられる。文治五年(1189年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されている。

想像するに、鎌倉幕府の公的歴史である「吾妻鏡」における頼朝訪問は史実で、それ以前は朝廷と幕府による奥州支配を正当化させる創作の可能性が高いのでは。

毘沙門堂の中はむき出しの板張りで、ろうそくが灯っていた。映画やドラマのロケに使われると、上杉謙信の戦の前の祈祷シーンが似合いそうな雰囲気だ。

毘沙門堂を出て境内の奥に進むと、岩に掘られた磨崖仏があった。

達谷窟・磨崖仏

高さ16.5メートル、顔の長さ3.6メートル、肩幅9.9メートル。「北限の磨崖仏として名高い」と書かれてあった。しっかりと見られるのはお顔だけ。胸から下は1899年(明治22年)に地震で崩落したらしい。ただ、崖の中にうっすらと全像が浮かぶ姿も、これはこれで趣がある。

磨崖仏を後にして、境内中央の弁天堂へ。こちらは毘沙門堂とは対極の女性らしい建物。周囲の池には蓮の花が咲いており、心和んだ。しばらく腰を下ろして蓮を眺めた。

達谷窟・弁天堂

境内の説明板を読んでいると、この窟、なんともバイオレンスな縁起ばかり。

下の姫待不動堂というお堂についてはこんなことが書かれていた。悪路王は、京から掠ってきた姫を窟の上流にある「籠姫」に監禁し、「櫻野」で花見を楽しんだという。また、「姫待瀧」と呼ばれる滝は、逃げ出そうとする姫を待ち構えていた場所。そして、悪路王らは姫が再び逃げ出さないように見せしめに黒髪を切ったとも。

達谷窟・姫待不動堂

殺戮と略奪、数々のエピソードに呆れ果て、ため息が出た達谷窟だった。

さて、境内の外には御供所という萱葺きの家屋があった。入口に写真展の案内を見つけたので、中をのぞいてみる。

達谷窟・御供所

平泉写真同好会というサークルが、達谷窟の四季を写した写真を展示してあった。冬、雪景色の窟が本当に美しい。だが、交通不便なこの窟を真冬に訪れるかというと、やっぱり二の足を踏むだろう。

御供所の中は、古い日本家屋特有の畳と土壁のにおいが充満していた。私は和室のない家に住んでいるだけに、このにおい、長居したくなるのだ。

達谷窟・御供所

写真展を20分ほど時間をかけて鑑賞、御供所を出ると、ちょうどバス停に平泉駅行きのバスが来た。降車した乗客は一人だけだった。(続く)

達谷窟バス停

そういえばここ、入口は鳥居をくぐるので神社だと思ったら、別当は達谷西光寺というお寺だった。珍しい神仏混淆の社寺だ。


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