大宮盆栽美術館を訪問、盆栽は「生きた立体アート」だ
盆栽の植物園ではなく美術館
水曜日、ゴールデンウィークに休日出勤した代休を取得。天気は快晴。以前から気になっていた「さいたま市盆栽美術館」へ出かけた。ここは屋外に盆栽が展示されているので、ぜひ天気のよい日に訪れたいと思っていたのだ。
盆栽というと、子どもの頃から、休日、ちょび髭・着物のオヤジがハサミを片手に小難しい顔で手入れしているイメージがある。経済的に余裕がある「中高年男性のぜいたくな趣味」で、ゴルフと同じく自分には縁のない趣味だと思っていた。
しかし、考えてみると、盆栽は日本が誇るトラディショナルなガーデニング。園芸好きの私が興味を持てないわけがない。美術館でホンモノの盆栽を前にすると、すっかり魅せられてしまった。
思えば盆栽って不思議だ。マツ、スギ、ヒノキ、カエデ、盆栽の樹木は、そもそも地面にしっかり根を下ろす「不動」のもの。ところが、これらを鉢植えにすることで移動を可能にし、床の間に飾ったりするのだから。
床の間に置かれた盆栽を目の前にすると、「生きた立体アート」だと思った。だから、植物園ではなく美術館なのか。
盆栽鑑賞のポイント3つ
館内では、盆栽の鑑賞法について分かりやすく解説していた。パネルによると盆栽を見る際、三つのポイントがあるという。下は国営昭和記念公園のWebサイトより抜粋。
- 根張り‥‥‥盆栽の根が四方八方に張り出して、安定感と力強さがあること。
- 幹‥‥‥立ち上がりが素直で、上に行くほど自然に細くなっていくこと。
- 枝配り‥‥‥幹から出ている枝の太さや間隔がバランスよく配置されていること。
また、樹形には、まっすぐと上空に伸びる「直幹(ちょっかん)」、幹と枝の屈曲を特徴とする「模様木(もようぎ)」、崖から身を乗り出した姿を表現した「懸崖(けんがい)」など、一定の様式美があるらしい。
盆栽が江戸時代から近代まで、日本の政治の場において、重要な脇役となっていたことなど、歴史的な経緯も興味深かった。
どうして大宮に盆栽の美術館が?
ところで、なぜ、この場所に盆栽美術館なのだろうか? Google Mapで調べると、美術館のある一帯の地名は「盆栽町」という。その疑問は、大宮盆栽村の歴史によってわかった。以下、盆栽美術館の公式サイトより。
大宮盆栽村について
東京の団子坂(文京区千駄木)周辺には、江戸の大名屋敷などの庭造りをしていた植木職人が多く住んでおり、明治になってから盆栽専門の職人も生まれました。関東大震災(1923年)で大きな被害を受けた盆栽業者が、壊滅した東京から離れ、盆栽育成に適した土壌を求めてこの地へ移り住みました。1925年には彼らの自治共同体として大宮盆栽村が生まれ、最盛期の1935年頃には約30の盆栽園がありました。大宮盆栽村は、いまも名品盆栽の聖地として知られ、日本だけでなく世界から多くの愛好家が訪れています。
最盛期は30あった盆栽園は、今は6軒を残すのみ。ただ、この近辺、造園業者が多いのは盆栽村の影響があるのかもしれない。
かつて盆栽園があった東武野田線、大宮公園駅北側は住宅地となっている。だが、埼玉県の郊外にありがちな新興住宅地とは風情が異なる。庭に大木がある邸宅が並ぶ高級住宅地だ。さいたま市の成城学園前、田園調布の趣がある。
せっかくなので、盆栽園で一つ盆栽を買って帰ろうかと思った。実際に値段を見てびっくり。一番小さな鉢植えでも1万円以上。「これ、いいかも」と思ったものは10万円以上した。
ガーデニング好きとはいえ、盆栽はまだまだ身分不相応のようだ。