長瀞・天神山城、「難攻不落」の廃墟に登る

今年に入って、後北条氏の城跡巡りをしている。

北条氏政の時代、小田原城・玉縄城・八王子城・鉢形城を結ぶラインが、北関東に進出する後北条氏の連絡路だった。八王子城から鉢形城へのルートは、 ちょうど現在の圏央道と関越道に重なる。春から夏にかけて、この一帯の山城を踏破。昨日、最後に残った長瀞の天神山城に出かけた。

長瀞・天神山城 地図

まず、天神山城の歴史をWikipediaより引用する。

  • 天文年間に藤田重利(のちの藤田康邦)が築城したと伝えられている。1546年(天文15年)の河越夜戦以降に北武蔵に勢力を伸ばしてきた北条氏康に重利は1549年(天文18年)7月従属した。
  • 1560年(永禄3年)に上杉謙信が関東侵攻を開始すると藤田氏は上杉方についた。しかし、同年9月に北条氏によって攻め落とされた。
  • 1564年(永禄7年)頃に北条氏康の四男である氏邦が入城した。氏邦は1568年(永禄11年)10月から翌年9月の間に鉢形城に居城を移したが、その後も天神山城は使われ続け、1590年(天正18年)の小田原征伐の際に、鉢形落城と共に開城したといわれている。
  • 1970年(昭和45年)、観光目的として本丸跡に模擬二重櫓(鉄筋コンクリート製)が建設されたが、採算あわず倒産し模擬天守も放置された。

なぜ、この城の訪問を最後に残していたのか? それは、ここは1970年代に観光地として開発されたものの、採算が合わず事業主体は倒産。模擬天守ほか、観光施設が無残に放置させているから。整備されず土くれのままの山城には興味はあるが、昭和の観光地の廃墟はどうも心が踊らない。私は歴史好きではあるが、廃墟マニアではない。

だが、いっときにせよ北条氏邦が入場した山城だ。模擬天守は最近取り壊されたという噂も耳にしたし、いつかは訪問しないと「踏破」にならない。半ば義務的に出かけることにした。

廃墟マニアに愛されそうな天守跡

関越道で花園インターチェンジへ進み、そこから長瀞へと向かう。荒川上流へ国道140号線を進む。白鳥神社の駐車場にクルマを駐める。ネットの探訪記をいくつか調べると、ここからてっぺんを目指すのがアクセスがいいらしい。

白鳥神社

白鳥神社の脇から100メートルほどは山道らしき道が続いたが、じきに倒木が道を塞ぎ、あっという間に獣道になった。昨夜の雨でぬかるんでる上、スズメバチも現れたりして、この上ない悪路。

長瀞・天神山城への山道

とにかく上へ上へ、てっぺんを目指して登る。すると、20分ほどで「取り壊された」とされる模擬天守が現れた。ひどい廃墟だ。入り口の扉は開いており、中に入ることができる。

長瀞・天神山城模擬天守

ただ、床は木製のため、体重をかけると踏み落としてしまいそうな箇所もある。なるべく床板の支柱に足をかけて、中に入った。

長瀞・天神山城模擬天守

一階には、昔の消防用具や箪笥等、かつての展示物らしいものが放置されていた。ひどい荒れようだ。

長瀞・天神山城模擬天守

二階に上がってみる。部屋の中には何もなかったが、狭いベランダには出ることができた。ところどころ瓦は剥がれ、周囲の樹木に覆われてしまい、何も景色は見えない。夏場で葉っぱが繁っているので、冬に訪れれば少しは風景は変わるのだろうか。

長瀞・天神山城模擬天守

長居する理由がないので、模擬天守を後にした。

Google Mapには確かに道路があるけれど

iPhoneのGoogle Mapを見ると、この模擬天守から南方に道が続いている。白鳥神社への下り道をトレースする自信がなかったので、大回りにはなるがこの道を下りることにした。

長瀞・天神山城 地図

道に沿って、まず掘割にかかった橋を渡る。ここも底が抜けないか不安だったが、模擬天守の床に比べると鉄製だけあってしっかりとしていた。

長瀞・天神山城の橋

橋を渡ると、櫓のような廃墟があった。周囲の木と一体化、錆びついている。周囲にはベニテングタケの群生が見られた。不気味だ。

長瀞・天神山城

白鳥神社に下りるよりも、地図に道があるから歩きやすいだろうと思っていたら、大失敗。ここから先、背丈まで伸びきった草が生い茂り、途中からまったく前に進めなくなった。ブルドーザーのように草をかき分け、踏みしめながら、ようやくレジャー施設のプール跡のような場所にたどり着く。

長瀞・天神山城のプール跡

Google Mapで何度も現在地を確認しつつ、ようやくエントランスに続く広い道路のような場所に出た。ところが、そこは切り立った崖! とても下りられそうにない。再度北に進み、かつての駐車場のような広い場所を目指した後、ようやくかつて自動車が通っていたような道路に出た。

長瀞・天神山城

一安心して気が緩んだか、雨でつるつるとすべる道で、すっ転んでしまった。肩を打撲してしまった。痛みをこらえながら、坂道を下りると、ようやくエントランスっぽい場所に出た。

本当に疲弊した。これまで訪れた中で、一番「難攻不落」の山城だった。二度と登りたくない、というのが率直な感想だ。


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