ゲーム「ウィザードリィ」から考える会社の経営陣
ロールプレイングゲームの古典「ウィザードリィ」
先月、実家に帰った際、押入れの中から懐かしいコンピュータソフトを見つけた。「ウィザードリィ」、ロールプレイングゲームの古典だ。
ウェザードリィは、それぞれの種族・職種・性格が違ったメンバー6人が酒場で出会い、パーティーを組んで、迷宮の奥にある宝物を求めて長い長い旅をするゲーム。
「パーティーを組んで冒険の旅を」というコンセプトは、今でこそロールプレイングゲームやライトノベルの定番だが、私が初めてパソコンでこのゲームに触れた1985年代当時、すこぶる新鮮だった。
それまで、ゲームというと、私にとってリアルタイムのシューティングゲームが常識だったのだ。リアルタイムではなく、ターンごとにゲームが進んでいく点も、反射神経のにぶい私の心をつかんだ。
職種の異なるメンバーでパーティーを組む
パーティーは、腕っぷしの強い「戦士」、攻撃呪文による特殊能力を持つ「魔法使い」、ヒーリングの特殊能力を持つ「僧侶」、戦闘には参加しないが、戦闘後、罠が仕掛けられた宝箱を開けるのに長けた「盗賊」など、違った職種を持つメンバーが集う。
メンバーは職種の他、種族(人間、ドワーフ、エルフ等)、性格(善・中立・悪)、二つの要素が加わることで、一人ひとりのキャラクターが形作られる。職種・種族・性格が違った少数のメンバーがパーティーを組んで目標に向かって進む、これ、役員会みたいなものだな、と今になって思う。
ウィザードリィの魅力、あえて一つをあげると、セーブ時点への復帰ができない点だろうか。「ドラゴンクエスト」なら戦闘に敗北してパーティーが全滅をしても、気がつけば、プレイヤーは教会で目を覚ますことになる。
リアルな会社経営との共通点
ウィザードリィは、セーブした時点に戻れない。パーティーが全滅したらその時点で「死骸」が捨て置かれる。戦闘や移動呪文の一つひとつの判断が厳しく問われるのだ。なので、ウィザードリィは、他のロールプレイングゲームよりもはるかに緊張感が伴う。ここが、リアルな会社経営と似ている点だと思う。
特に、迷宮の中でパーティー6人中、1人でもメンバーが死ぬと、ドラゴンクエスト5のように馬車の中に「補欠」が控えていたりしないので、取り返しのつかない危機が訪れる。蘇生魔法が使える僧侶が死亡すると、スタート地点まで戻るのも大変になる。
ただ、全滅したパーティーのメンバーを救出するため、別の5人のパーティーを作って、一人ずつ救出に向かうことはできる。全滅地点まで向かえるだけのレベルを持つパーティーに育てるのが、骨が折れるのだが…。
会社の経営陣は、職種・種族・性格の違いをこえて株主総会をきっかけにパーティーを組むようなものだ。異なるキャラクターが揃わないかぎり、ゲームを前に進めることはできない。
ちなみに、私自身をウェザードリィのキャラクターで分析すると、
種族/エルフ
性格/中立
職業/魔法使い
だろうか。