雑司が谷と入谷の鬼子母神に参拝
鬼子母神の読みは「きしもじん」
鬼子母神(きしもじん)は長い間“きしぼじん”だと思っていた。「恐れ入谷の鬼子母神」というフレーズは子どもの頃から知っていたけれど、その意味するところは深く考えることはなかった。
東大寺(奈良)、三井寺(滋賀)、東寺(京都)にも、鬼子母神は祀られているそうだが、どうも関西ではポピュラーな存在ではない。やはり江戸三大鬼子母神といわれるだけあり、存在感は首都圏の方が大きい気がする。
江戸三大鬼子母神は、雑司が谷の法明寺、入谷の真源寺、市川の法華経寺(江戸時代は杉並の本佛寺)を指す。このうち法明寺と真源寺を続けて参拝した。
江戸の風情が野漂う、雑司が谷の法明寺
二つのお寺に出かけたが、風情という点では、雑司が谷の法明寺の方がはるかに趣があった(上の写真)。時代劇のロケ撮影に使われても不思議でないほど情緒がある。何やら、お堂の裏から虚無僧が現れそう。
境内には樹齢700年といわれるイチョウの神木がある。高さ約33メートル、幹の周囲が約11メートルという巨木。このイチョウが境内に荘厳な雰囲気を醸し出している。
また、小さな駄菓子屋があった。上川口屋という。創業は江戸時代の1781年(天明元年)らしい。子授け、安産の寺にふさわしい店だった。
ところで、鬼子母神。今でこそ子授け、安産の守り神とされているが、もともとはこんないわれがあった。
彼女は夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将般闍迦(パンチーカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人の子どもの母でありながら、常に人間の子を捕えて食べてしまうため、多くの人間から恐れ憎まれていたという。
見かねた釈迦が、人間と彼女の救済を図り、彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ)を隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見できず、釈迦に助けを求めると、釈迦は子を失う親の苦しみを悟らせ、仏法に帰依させた。その後、彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。
インドの神なのか、仏教なのか、何やら原始的な説話だ。
法明寺から都電荒川線の雑司が谷駅に向かう参道には、古民家を利用したカフェもあった(キアズマ珈琲)。満員で入れなかったが、渋谷や表参道とは違ったゆっくりとした時間が流れていそうな素敵な店だ。
上野の展覧会ついでに入谷の真源寺へ
一方、入谷の真源寺。一昨日の日曜、東京国立博物館で開催されている『栄西と建仁寺』展にクルマで出かけたものの上野周辺の駐車場は満車。仕方なく、鶯谷の東側のコインパークに駐めた。ところが帰りがけ、駐車場から歩いて数分のところに真源寺があることを知り、ついでに訪れることにした。
ただ、入谷の真源寺は「恐れ入谷の鬼子母神」の言葉で知られているけれど、雑司が谷の法明寺とは違って近代的な「普通のお寺」だった。こちらは7月の朝顔市が知られているそうだ。
夏に訪れると、また違った情緒があるのかもしれない。