入間川 冬の散歩記録(3) 初雁橋〜川越橋〜雁見橋
凝った意匠を持つ川越橋から散歩開始
新型コロナウイルス感染症、2度目の緊急事態宣言下、川越市内の入間川両岸を散歩しています。初回は、いるまがわ大橋〜八瀬大橋間、2回目は八瀬大橋〜初雁橋間レポートしました。
今回歩いたのは初雁橋〜川越橋〜雁見橋間です。
スタート地点は川越橋近くの上戸運動公園。グラウンドでは休日、小学生の野球チームの練習試合がいつも行われており、親御さんの車が多数駐車しています。ここに車を駐めました。
まず、川越橋。1990年に建設。橋の長さは288メートル。入間川に架かる川越市内の橋の中では、中心部が比較的高く造られていて、橋の上からの眺めがよいです。
また、橋には時の鐘、市内地図のモニュメントが設置されており、歩道を歩くと凝った意匠に足が留まります。
2本の鉄道橋、2本の送電線
さて、上戸運動公園のグラウンドでプレーする少年野球チーム、サッカーチームを左手に見つつ、入間川左岸の土手の上を南下。500メートルほど歩くと、東武東上線、続いてJR川越線、2本の鉄橋があります。
東武東上線は複線で、三角形に組んだトラス橋の上を電車が頻繁に行き交います。一方、JR川越線は単線で、15分〜20分に1本程度しか電車が通りませんが、“むき出し”で走る姿を間近で見ることができます。
川越線の方が見ていて楽しかった。しばし、鉄道ファンの気分を味わいました。
川越線の鉄橋をくぐると200メートルほどで、前回渡った初雁橋に到着。右手に川越水上公園の緑地を見ながら対岸に渡り、北上開始。再び、JR川越線と東武東上線の鉄橋をくぐりました。約1キロメートルで、スタート地点・上戸運動公園の対岸、川越橋の東詰に到達。
川越橋を超えると、初雁橋〜川越橋間よりも幾分土手の面積が広くなります。ところどころベンチやあづまやが設置されていて、散歩がてら休憩する高齢者の姿もちらほら。
ここの上空には二本の高圧線が入っており、のっぽの送電塔が立っています。送電塔は東は秩父山地、西はさいたま市方面に連なっていて、二列縦隊で延々と並ぶ様子は壮観! 先日、福島県沖の地震の影響で大規模な停電があったばかりなので、ロープで手を繋ぐように関東平野を行進する送電塔が頼もしく見えました。
江戸時代の面影を残す上寺山の釈迦堂
二列の送電線をくぐって、なお北上すると青い雁見橋(かりみはし)が見えてきました。橋に近づくと東詰のたもとにケヤキ(?)の大木と小さなお堂が見えます。 Googleマップで調べると「釈迦堂(上寺山)」と記されています。
土手から下りると、お堂のそばに小さな庚申塔がありました。小人のような青面金剛明王(夜叉神)が邪鬼を踏みつけています。その下には三猿が。像の左上には「享保十三庚戌天二月吉日」と日付が彫られています。1728年、今から300年前に作られたのか。
また、庚申塔の奥には立派な六十六部廻国供養塔が。六十六部廻国とは江戸時代に流行した巡礼のスタイル。法華経を書写して全国66か国の霊場に1部ずつ納経しながら仏や菩薩との結縁を願って諸国遍歴の旅をしていました。この巡礼の行者を「六十六部行者」と呼び、無事、旅を終えた(=成就した)ことを記念したのがこの供養塔です。
塔には「宝永弐□□□□三月(二月?)」の元号を読み取ることができました。宝永2年は江戸時代の1707年。
宝永年間といえば日本各地で天災が続いた時期でした。元年に東北地方で大地震があり、この供養塔が建てられた2年には桜島が噴火。翌3年、浅間山が噴火。そして4年、日本史上最大級と推定される宝永地震(M8.4~9.3)と大津波、その後、今日まで史上最後の富士山の噴火である「宝永大噴火」が起きています。
そんな大変な世相の中、諸国を旅した行者は何を見て、何を祈ったのか? 300年前の旅人に思いを馳せながら合掌しました。
青い雁見橋を渡りゴールに向かって南下
釈迦堂を後にして、青いカラーの雁見橋を対岸に渡ります。橋の長さは266メートル。1963年に完成。前方にごみ処理施設「川越市資源化センター」が見えました。私もごみの持ち込みで、これまで何度か車でこの橋を渡りました。
雁見橋を西側に渡り、今度は入間川の左岸を南下。左手に東京国際大学のグラウンドが見えます。右手にはクラブハウスも。
東京国際大学の本部は高田馬場にありますが、キャンパスは川越・坂戸近辺にあるので、川越が拠点の大学のイメージが強いです。最近は箱根駅伝で健闘していますね。
東京国際大学のグラウンドを超えると、スタート地点の川越橋が見えていました。この辺りの入間川は比較的水量が少ない冬でも、なみなみと水をたたえており、一級河川らしい風景です。
上戸運動公園を15時にスタートして、初雁橋と雁見橋を渡り、16時15分に戻りました。
歩行距離:4.7キロメートル。歩行時間:1時間。