感想/庄野潤三『プールサイド小景』(芥川賞小説)
短編10作を読んで後、受賞作へ
庄野潤三氏の短編小説『プールサイド小景』は1954年下半期、第32回芥川賞受賞作。
庄野潤三氏の小説を読むきっかけは、村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』で、短編『静物』を知ったこと。『静物』のほか、『愛撫』『恋文』『噴水』『十月の葉』『臙脂』『机』『舞踏』『相客』などの短編を読んだ後、『プールサイド小景』に行き着いた。
2000年以降の芥川賞受賞作家の小説は数あれど、たいてい受賞作で初めて接することが多い。なので、私の感想の多くは作品群を俯瞰した上で書いていない(これは作家に対して少々アンフェアな気がしている)。その点、『プールサイド小景』は初期短編をいくつか読んだ後なので、多少は広角視点の感想になる。
まずは『プールサイド小景』のあらすじ(Wikipediaより)。
四日前に会社をクビになった青木弘男が、プールで水泳の練習をしている小学5年生・4年生の二人の息子をプールサイドで眺めるところからこの物語は始まる。
青木は会社の金を無断で密かに使い込んだ(青木が会社で貰う俸給の6カ月分)為に、本来ならば家を売却してでも弁償しなければならないところを特別に許されて、その代わり18年勤めてきた会社を即日クビになった。
それからは三日前の夕方から、子供達が仕事の無くなった父を引っ張り出して、学校に新しく出来たプールへ泳ぎに行くことにした。
青木は夫人に問いただされて、美人で素っ気ない姉と不美人でスローモーションな妹が切り盛りするOというバアに、その姉と会うことを目当てに通っていたことを告白する。
更に訊いて行くと、青木が実は、ビクビクしながら会社の椅子に永い間座って来たことを話し、夫人は夫が勤め先に始終苦痛を感じていた為にまっすぐ帰宅しなかったことが分かる。
10日の休暇の後、青木は近所の目を気にして、出勤するかのように毎日出かけることとしたが、夫人は夫がどこか見知らぬアパートの階段をそっと上がる後姿を想像してぞっとする。夕方、夫人は台所に立って働きながら、夫がたとえ失業者になっても無事に帰って来てくれることを何度も心の中で祈り続ける。
プールはひっそり静まり返り、夕風が吹いて、水面に時々細かい小波を走らせている。
Wikipedia「プールサイド小景」より
平凡なサラリーマン家庭に差す影
一見、幸せそうな家庭も、内々には見えない問題を抱えている。『プールサイド小景』は小津安二郎の映画を見るような、昭和の家庭の情景が描かれているが、外と内のギャップは時代を超えて普遍的なテーマ。Facebookに、毎日のように家族旅行、誕生日の食事など、幸せそうな家庭の写真を目にする。私はそんな投稿数が多い人ほど、不安の強さに思えてならない。
何気ない日常に差す影。小説『舞踏』の冒頭に述べられているテーマと『プールサイド小景』のテーマは同じだ。
家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(ヤモリ)のようなものだ。
庄野潤三『舞踏』より
それは何時からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたけも家屋の内側の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つい人々はその存在に馴れてしまう。それに、誰だってイヤなものは見ないでいようとするものだ。
『舞踏』の冒頭が陳述による比喩であるのに対し、『プールの情景』は冒頭とラストに学校のプールの風景による「映像」のような表現となっている。プールサイドの風景はこの冒頭とラストシーン以外にはない。
だが、平凡な家庭に差す光と影を、自主制作映画の印象的なシーンのような強い記憶として、私の脳裏に焼き付けた。
タイトルと冒頭・ラストの巧妙な仕掛けに喝采。私の感想は五つ星評価で星五つの最高点。
焼け野原から10年で都市生活が蘇った
もう一つ、感心したのが、1950年代前半の都市庶民の生活風景。
『プールサイド小景』が雑誌『群像』に掲載されたのは1954年12月。第二次大戦終戦後、10年経っていない。
1956年、経済企画庁は経済白書に「もはや戦後ではない」と記述し、1955年には早くも一人あたりの国民総生産(GNP)が戦前の水準を超えている。焼け野原の終戦からわずか10年間、奇跡的な速度で日本が復興したこと。
2021年現在で2011年を振り返っても、社会、文化、暮らしが大きく変化した印象はない。「3.11」という、ある意味、終戦に匹敵するできごとがあったにも関わらず、何も変わっていないように感じる。
一方、『プールサイド小景』に描かれている光景には、10年前の焼け跡の面影はない。私が小学生だった1970年代から80年代初頭の都市のサラリーマン家庭(会社員の夫、専業主婦の妻、幼い子供)のささやかな暮らしぶりと大差ない。
この作品を読んで、終戦から10年間の日本人の暮らしの激変に思いを馳せた(もちろん、中産階級未満の家庭は数多くあっただろうけど)。
芥川賞受賞作 読書リスト:私が読んだ作品を五つ星で評価しています。