「俊徳丸」と俊徳道駅
私の実家の近くに俊徳道(しゅんとくみち)という駅がある。近鉄大阪線とJRおおさか東線が交わっている。幼い頃、子供心に難しい駅名だな、と思ってはいたが(あと子供には「しゅん」という発音が難しかった)、その名の由来について深く考えることはなかった。
昨夜、現代能楽『俊徳丸』を観て、子供の頃から慣れ親しんだ地の由来を知った。30年も経ってから、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで知ることになるとは。
俊徳道は、謡曲の『弱法師』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』の主人公、俊徳丸が高安から四天王寺へ通ったといわれる道筋のことだ。
以下、Wikipediaの俊徳丸の伝説より。
俊徳丸は河内国高安の山畑(現在の八尾市山畑地区あたり)にいたとされる信吉長者の子で容姿が良く、頭も良い若者だった。そのため、四天王寺の稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘は俊徳丸に魅かれた。
その後、二人は恋に落ち、将来、一緒になることを願うようになった。しかし、継母は自分の産んだ子を世継ぎにしたいと願ったため、俊徳丸は継母から憎まれ、ついには継母によって失明させられてしまった。そして癩病にも侵され、家から追い出されてしまった。そして行きついたのは四天王寺であった。
そこで俊徳丸は物乞いしながら何とか食いつなぐというような状態にまでなり果てた。この話を村人から伝え聞いた蔭山長者の娘は四天王寺に出かけ、ついに俊徳丸を見つけ出して再会することとなった。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、二人は昔の約束どおり夫婦となって蔭山長者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。
それに引き換え、山畑の信吉長者の家は、信吉の死後、家運が急に衰退し、継母は物乞いとなり、最後には蔭山長者の施しを受けなくてはならないような状態になったという。
四天王寺の稚児舞楽というのは、その昔、ジャニーズのイベントのような存在だったのだろうか?
というのも、昨日の現代能楽「春独丸」で主人公を演じていたのが元男闘呼組の岡本健一。四天王寺の稚児舞楽、摂津・河内・和泉の各地から推薦された美少年たちが踊っていたなら、きっと近隣の女子は我先にと出かけたのでは‥‥なんてことを考えた金曜の夜だった。
「俊徳道」、美少年の道か。